忘れたくないこと

1週間区切りの日記をあげています。

どうして片付けられない子だったか・人生諦めないでいいかも

「毎日毎日 100均かスーパーか薬局かスリーコインズ  100均かスーパーか薬局かスリーコインズ 」って母に向かってラップみたいに唱えた

これは別に母に不満とかそういう話じゃなくて 私の休日ってそんなかんじだよねって笑い話の勢いでできたリリック(?)

 

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そしてその毎日毎日100均か(略)のおかげで私の部屋がだいぶ片付いたまま維持できるようになってきた
収納のスペースを細かく区切って 物が帰る場所をちゃんと作っていくかんじ 


 恥ずかしながら私はずっと部屋を片付けられない子だった どうしても無理だった 部屋といっても人生で1度も自分の部屋を持ったことがないというのはよく言ってるのでスペースなんだけど 昔でいうと自分の机だね 


ぐちゃぐちゃで とにかく整理整頓とか片付けとかにうるさい父に酷く叱られてた 父が亡くなってから咎める人もいなくなったけど やはり叱られ続けた日々があるためか1ヶ月ほど荒れたままにすると「やばい」という気持ちが芽生えて 休みの日に2日とかかけて片付けてた 


片付けといってもゴミを捨てて ゴミ以外にもう必要ないと思ったものも捨てて 物を元の場所に戻して 片付けきれなかったものを一箇所にまとめておくってことしかしてなかった

 


私が物をすっぱり捨てられるようになったのは 自分のスペースが圧倒的に足りなくて 次々と捨てなければ新しいものが入れられなくなる という環境に応じて身につけた感覚だと前に言ったと思うけど 


もしかして小学生の頃 机の上を片付けることが本当にできなかったのって 収納力が圧倒的に足りなかったからじゃないかなと思い始めた ゴミでなく物でいっぱいだったんだし 


捨てるという感覚もなかった 自分のお金で買った物ではないし 裕福ってわけでもなかったから物を簡単に買ってもらえるわけでもなかったし 捨てれば次いつ買ってもらえるか・手に入るかわからない状態では捨てようなんてまず思わないし 


今とは違って自分で収納の道具を買うこともできないし 片付けろと言うだけでどう片付ければいいのかを教えてもらえなかったような気もする 教えてもらってたら変わってたかもしれない


ずっと自分は片付けができない子だと思ってたけど どこかのタイミングで変えられる可能性があったのかもしれない 


でもどっちかっていうとやっぱり片付けは苦手な方だと思う 忙しくなるとごちゃついてくるし


毎晩 ベッドメイキング…ではないけどピローメイキング(という言葉があるのかは知らない)をしている その瞬間が結構楽しくて落ち着く


ブラウンの敷布団カバー(シーツとか言いたかった)の上に オフホワイトのカバーをかけた枕を置いて 前の職場で腰当てにしてたグレーのクッションを枕元に置く(これに関してはなぜここに置いてるのか自分でもわらかない) 壁に作った簡易の棚からピローミストを取って 2〜3プッシュする そこまでが私のいつのまにかできたルーティーンで あ、ていねいな暮らしできてるっぽいって自己満足 でもその時下世話な話題のYouTube動画とかイヤホンから流れてる 

 


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時限爆弾みたいに 友達とご飯を食べた日の動画が「送るの忘れてた!ごめん!」と送られてきた 正直ドキドキとして 不安になりながら 意を決して動画を見た まず1つ目は動画自体に補正?加工?がかかってて私の顔じゃないかんじになってて これは別にいいやってなって

 


2つ目は「私も忘れてた!」って送ってくれた別の子が撮ったやつで 加工も補正も何もないもので 店内がかなり暗かったのでいろいろなアラが隠されてるといいなと思いながら見た 

 


自分の腕の太さとか猫背感とか気になったけど 昔より表情とかがはっきりしててマシになったなとか感動しちゃった きっと明るいところで寄りで撮られてたら二度と見返せないようなモノだけど 笑った顔とか すごく マシになったなって泣きそうになった

 

 


いつか自分のこと 適当に好きになれたらいいな

 


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仕事柄 人様の年齢や家族構成をよく目にする 父何歳 母何歳 子何歳 と 最近よく目にするのは30代後半から40代前半の母に 3歳以下の子ども 晩婚化が進んでるとか 高齢出産が増えてるとか 勉強もしたしニュースとかでも目にしてきたけど こうしてリアルな現状を目にするのは初めてだった


私はすごく勝手に すごくすごく勝手に 自分が許された気になった 仕事中にその年齢という数字だけを見て泣いてしまうかと思った 私の人生まだ諦めなくてもいいのかもしれないと思った 


何もまだ起きてないことや 勝手に想像して 悲しくなったり絶望したり 不安になって諦めてしまうことがすごく得意だから もうなんの希望もなく ただ日々少しだけ幸せだなって思って眠れたらそれでいいって思ってたから 

 


またそれとは別で女や結婚や出産や社会のあれこれを 勉強のためにもう1年以上 ツイッターで眺めててるせいか 出産も結婚も共同生活も何もかもが怖くて 自分には向いてないと感じて 全てを放棄して一生一人でいようくらいに思ってて

 


とにかく出産とか一番捨ててたし 母にも周りにも私は子ども産みませんとずっと言ってたけど
どこか救われたい気持ちがあったんだなぁと あの時自分にふと芽生えた「私の人生まだ諦めなくてもいいかもしれない」という意識によって気づいた


母に途中を省いてただその数字をみてその意識が芽生えた話をしたら「え、人生諦めてたの!?(なぜ!?)」って言われて 日々たくさん会話をしていても核の部分は伝わらないもんだなと思ったしちょっとホッとしたりもした 


その若さでその年齢で そんなことまだ考えなくてもとか (考えが)若いねとか いずれどうでもよくなるとか 生きづらそうだねとか そういうことは求めてないので


 私の絶望を笑ったり そんなの気にしないでと無責任に言ったり そういう資格ないでしょって強く思う 生きづらそうって言うの 受容だと思ってるのかな これはずっと昔に思って言えなかったこと

 


いつか根本からこの考えを捨てても大丈夫だと 思える瞬間が来ますように

 

 


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おしゃれで仄暗く意味深な文章を書く人 ずっと母親の体の調子が悪そうだった 母親の就寝とも危篤とも取れるような文章のあと 普段通りのツイートが続いていたけど いくつかの違和感のあと 今日なんとなく ああここ数週間のうちに亡くなってしまったのかもと思う文章があった 
失うという字の中には 人 が入っているなぁ

 


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